H25年11月24日(日)つくばマラソン

初めての医療支援走          (つくばマラソン完走記)

 

今年2月の練習中に左梨状筋を痛めてしまってから坐骨神経痛に悩まされ、整骨院に通って治療をしていました。4月にサッカーのベッカム選手が現役を引退した時に私も現役引退を考えたのですが、8月にはだいぶ回復してきました。また走れるようになった喜びとともにランニングで何か社会貢献ができないかと考えて、「日本医師ジョガーズ連盟(日医ジョガーズ)」に入会しました。日医ジョガーズはマラソン大会で、コース上を走りながら医療支援活動をボランティアでやっています。心肺停止など緊急性の高い状況に遭遇した場合は、レースを中断あるいは中止をしてその初期対応を行います。今回「第33回つくばマラソン」で初めてこの医療支援活動「ランニングドクター」として参加しました。

「4時間30分で走る」と日医ジョガーズに事前申告していたので、キロ6分を維持するように走りました。走行途中、転倒して出血しているランナーがいましたが、すでに先に走っていたランニングドクターが対応していました。後半はコース脇に座り込んでいるランナーがチラホラいましたが「救護」のビブをつけた救護班が対応していましたのでスルーしました。30Kmを過ぎると脚が重くなってきました。風船をつけた4時間30分のペースメーカー・ランナーを見つけて、遅れないようについて行きました。35Kmを過ぎるとペースが落ちてキロ6分30秒程度になってしまい、ペースメーカー・ランナーの風船が徐々に前方に遠くなっていきます。そんな状態で筑波大学構内に入り、40Kmを迎えました。構内に入ると、後ろから「イシハラ頑張れ!」という応援の声が聞こえてきました。折り返し地点で確認するとゲストランナーの石原良純さんが走っていました。

石原さんはマラソン歴15年、月間200Kmを走るマラソンランナーです。石原さんより前で走っていることにビックリするのと同時に、体力のある石原さんにゴール前で抜かれる可能性のある微妙な距離に焦りました。「ゴール前で抜かれないように今のうちから離しておこう」と思って40Kmからペースを上げました。不思議なことに「もう限界」と思っていた脚が石原さんの姿を見たらまた動き始めました。家に帰ってランニング・ウォッチで確認したところ、40Kmからキロ1分速く走っていました。気持ちが体に与える影響ってスゴイですね。キロ5分30秒を維持してバンザイ・ポーズでフィニッシュです。フィニッシュ・ゲート前ではさらにペースを上げてゴールしました。

結果はグロス4時間31分27秒でした。事前申告通りのタイムで走れたので、ランニングドクターとしての仕事は成功です。家に帰ってネットタイムを確認したところ、スタート・ロスがかなりあり、ネットタイムは4時間24分01秒でした。慌てて私のベストタイム、去年の東京マラソンのネットタイムを確認したところ4時間23分27秒でした。あと35秒速く走っていれば自己ベスト更新でした。「つくばはフラットで高速コース」ということを実感しました。思っていた以上に速く走れたのは気象コンディションが良かったこと、よね太郎さんにレンタカーを借りていただき陸上競技場付近まで車で座って行けたこともあるでしょう。すべてに感謝。何より初めて会った石原良純さんに感謝です。

 

報告者 カール王子

 

つくばマラソン結果です
グロス 3:47:16
ネット 3:45:32
5年連続のつくば、全く緊張感なく楽しく参加しました。
走り込み不足&調整不足に加え、前日にはビール&ボジョレーヌーヴォーでたっぷりと水分補給。完全にナメてました。
スタートラインにつくと、何の根拠もないのに『今日は行けそうな気がする!』ここでもナメてました。
ハーフ過ぎまではサブ3.5ペースで行ったものの徐々に失速。膝が痛くなり、足の指がつり、最後はヘロヘロでゴール。
やっぱ、フルマラソンをナメてはいけませんね。心入れ替えて精進します。
最後に、サポートしてくださったよね太郎さんはじめ参加されたスマランメンバーに感謝です。ありがとうございました。
ちなみに、次のレースは12/22年の瀬マラソンin所沢航空公園(フル)です。なんと前日はスマラン年の瀬イベントの日!忘年会もあるし両日ともがんばろうっと!……これまたナメてます?

報告者 アキモ

 

H25年11月24日(日)富士山マラソン


第2回富士山マラソンに出場しました!湘南マラソン終了後から、仕事が忙しくなり、1週間に1度トレーニングやるのが精一杯で、普段、週4日、5日やっているのが当たり前だったので、厳しいレース展開になることは、見えていました!

更にこのコースは、アップダウン沢山あり、高低差は80メートルあり、レースとしては、厳しい方だと思います!

調整不足の中で、42キロを鳴るべく変わらないペースで走ることで、頭が一杯でした!

レースの前日から、過密スケジュールだったため、身体は、きつかったです!

仕事が終わったのが22時、一度自宅に戻り、ご飯を済ませ、24時に車で河口湖方面に向かいました!その後眠気が誘い、一度、中央道の藤野パーキングエリアにて3時間仮眠、4時に目が覚めて、直行で指定された駐車場へ向かい、4時50分に到着しました!

その後、気持ち仮眠して、6時30分にシャトルバスに乗り、7時15分頃会場に到着したが、気温は2度で寒かった!

スタート1時間15分前、身体を暖めるようにストレッチをやり、スタート地点の近く20分程度走りました!スタート30分前にBグループに並びスタンバイしました!

9時に1万6千のランナーが、スタートしました!

早速、小刻みなアップダウンがあり、始めからスピードが乗らず、何処まで持つか頭が一杯でした!

5キロ位から、ペースも落ち着き、このまま、キロ5分前半で行こうと思った!

その後もアップダウン続きで、冷静に走り、13キロで給水所で1回給水しました!

 

半分まで行き、1時間55分位でとりあえず、4時間切ろうと思った!

その後、一番厳しい上り坂になり、富士五湖でも走るコースだったので、ここは問題なく走れた!

30キロまで行き、残り12キロ、身体が持ってくれることに期待をした!

33キロ過ぎ、身体が重くなり、失速し始め周りのランナーにも抜かれて行く!

苦しみながら走り、35キロの給水所でサプリをとり、屈伸して3杯給水してから、気持ちを変えました!

ゴールまで歩かないように走ることに専念した!残り5キロ、気持ちは変わらず楽にならない!

40キロまで行き、気持ちは楽になったが、足はコントロール利かず、ゴールへ向かうのみしか考えなかった!

応援も増え、苦しみながら走り、何とか歩かず、4時間5分55秒と不本意ながら、ゴールを果たせました!

報告者 おつ

H25年11月10日(日)ねりま光が丘ロードレース

地元練馬の唯一のメジャーな大会「ねりま光が丘ロードレース」に参加しました。

今年は10kmの部の参加。やはり人数も都市大会とは違って少ないのでけっこう飛ばせてはしれましたが、自己ベストとは行かず

 

記録 

ゆうきくん 10km男子16~39歳の部 41分51秒 44位/274人中 

たま      5km男子16~39歳の部  18分11秒  10位/124人中

H25年11月3日(日)湘南国際マラソン

 

人生初のフルマラソン

スタートしてから数キロはすごく順調で、スタート前には心拍数165ぐらいで走っていこうと思っていたのですが特に呼吸が辛くなる事もなかったので172前後で走り続けました。
湘南大橋ぐらいまでは人も多くて走りづらかったので、一番対向車線よりを走ります。
前がたまに空くので、そのタイミングで前の人を抜かして進んで行きました。

車いすで折り返して来る先頭ランナーが通り過ぎ、ハーフマラソンのランナーとすれ違い始めます。helloweenさんが走って来られたので、思わず声をかけてしまいました。レースの邪魔になってしまったでしょうか・・・

キロ4:50~5:05ぐらいで走っているよう感じ。これは、かなりいいペースなんじゃないか? 
10kmぐらいの所で倒れている人がいて、AEDの準備をしているようでした。大丈夫だったのでしょうか。

実はこの10kmぐらいで左の太腿が攣ってきました。先日の30km走でも足が攣ったまま30km走り切ったし、まあ気にしなくても良いだろうとそのまま心拍数172ぐらいをキープして走ります。

その後折り返して来るランナーが見え始め、どんどん増えてきます。ちゃんとコース図を見てこなかったので、どのぐらいの場所に折り返し地点があるのだろうなあ? と思いながら走っていました。
まあ、たぶんちょうど半分ぐらいだろうと。(当たり前か)
給水所の前ではジェルを食べて、塩熱サプリを食べて、給水で水を飲んで流し込む事を繰り返して走り続けます。折り返しの19kmぐらいまではたいへん順調に走りました。
折り返し地点に近づくと、応援の方が沢山いらしてびっくりです。凄い大声援の中を通り過ぎて折り返します。このあたりの事はあまり覚えていないですが、『折り返しは本当に折り返すだけなんだなあ』と思った記憶があります。(他に何があるべきなのかと言う突っ込みは無しで)

その後25kmぐらいからでしょうか上りがずーっと続いています。
ここでようやく気がつきました。そうか、前半すごく順調だったのは下りだったからなのか。あと、17kmもあるぞ? これって本当に走り切れるのか?
と思っていると、おしっこもしたくなってきた気がしてなりません。でも、本当は全く行きたくないのに脳が走るのを止めさせたくて行きたくなっていたりしたらやだなあ。あー、どうしようと悩んでいたのですが、次のトイレが空いていたので思い切って行きました。
うむ。この判断は良かったようです。

前半は初めて走る景色だったので珍しかったし、写真撮影ポイントも沢山あって良かったのですが、後半は何の変化も無くひたすら上りが続いています。
いま改めて(初めて;笑)高低図を見るとずっと登りだと言う事はないのですが、後半はずっと登りだったイメージがあります。
ずっと登りで、単調で、しかも疲れていて、これでゴールまで走り切る事なんて到底出来ないのではないかと思い始めていました。
もちろんペースも落ちていて、前半はどんどん抜いていたのですが、25kmぐらいからはどんどん抜かされました。
途中で、ぐわTのFIREさんに背中をたたかれて元気になったり、Team75のメンバーに出会って声を掛け合ったりしたので、その時は元気が出ましたが直ぐに弱気にもなります。

途中で、お腹の調子も変になってきました。今まで走っていてお腹の調子が悪くなる事なんて無かったので、走って内臓疲労すると言うのは全く理解していなかったのですが、確かにお腹の調子が悪い。
また第10給水所でトイレに寄りますが出ません。もやもやとしながらも再度第11給水所でもトイレに寄って少し粘ったところ解決されました。

本当に26kmから40kmの折り返しまでは、『これって絶対に走り切るなんて出来ないのでは?』とか『ああ、歩いた事をなんて言い訳しようかなあ』とか『ほらこの坂道で、しかも足が攣っているまま走っているんだからストレッチをするために止まろう』とか『あの人も歩いているじゃないか』とか『まだ1km走っていないのか、これでは最後までは走りりれないぞ』とか『30kmの壁とか35kmの壁とか言うが、俺には26kmで壁が来たぞ。と言う事は他の人が走り切れても俺には無理じゃないか』とか、ものすごーくネガティブになって走っていました。ここで考えたことは鮮明に覚えています。(笑)

さらに、途中から逆車線の車線規制が解除されて車が走り出し、関門に引っかかった方がバスに乗ってすれ違い始めます。
走りきった後ぐらいに車線規制が解除されたりするものだと勝手に考えていたので、『自分もあのバスに乗るのではないだろうか』とか『車線解除された車が後ろから追いかけてきたりするのだろうか』とかどんどんネガティブなことばかり考えています。

10kmで攣りだした左脹脛は、次に右の脹脛が攣り、右のハムストリングスが攣り、左のハムストリングスが攣って足全体がガチガチです。
足に優しいと選択したGlycerin9ですが、それでも足の裏や外側の骨の部分が痛くなっています。「足が痛いのは気のせいだ」と考えて走りますが、急に痛くなって引いていく脳からの指令とは違って、じわじわと少しずつ痛くなっていくこの痛みは、たぶん本当の痛みです。なので、気のせいとも考えず何も知らないふりをして走るしかありません。

しかも、同じ心拍数172で走っているはずなのに、どんどんペースが落ちて来ているようです。

でも、今まではみんなを抜いていたのに、さっきからみんなに抜かされていきます。と言う事はペースが落ちている以外には考えられませんん。かと言って、ペースを上げると心拍数が跳ね上がります。たぶん、そのペースでは走り切れない事は分かっています。

26kmくらいになると一歩でも長く走ることだけで精一杯。
今でも、なぜ30kmから37kmのスタート地点まで走れたのか不思議なぐらいです。もう一度やれと言われても無理かも。

本当に、何度も何度も何度も何度も、歩こうと、止まろうと思いました。
26kmから折り返しの39km地点までは13回止まろうと思ったはずです。いや、1kmで10回は止まろうと思ったはずなので、130回は止まろうと思ったはずですね。
でも、一度歩いてしまうとそこで終わってしまいそうなのが、たまらなく悔しくて。
何とか一歩ずつ走っていました。

スタート地点の36kmを通り過ぎて、次の折り返しまでまだ先に進みます。その事は知っていたのですが、さらに何キロで折り返すか知りませんでした。
すぐに折り返すと良いな。1kmぐらいかな。いや2kmはあるかな。折り返しは今見えているあのライトのあたりじゃないか? とひたすら折り返し地点が来ることだけを願っていました。
逆車線には折り返してきた人が走っていて、「あと1kmだ~」とか「あと2kmだー」とかの応援の声が聞こえます。この応援の声から、あと折り返し地点まで何キロか分からないものかと考えてみながら走っていましたが、それは無理だよね。今地図を見ると3kmぐらいあるんですね。知らなくて良かった。

ようやく折り返し地点到着、とそこに給水所があります。ありがたい!
ここではじめて止まって給水して、ゴクゴクと2杯水を飲みました。少しだけ元気になって、もう一度走り始めます。
あと2kmぐらいだろうから、ここからならさすがに走りきれるだろうと元気が出てきました。
歩いている人、抜いていく人いろんな人がいますが、たんたんと、たんたんと、心拍数を170キープで走ります。でも、心が急いでいるのか180オーバーになってアラームが鳴る事が何度もありました。いかんいかんと、ペースを落とします。

いや、今考えるとそのペースで走りきっていればサブ4だったんだよな~

大磯プリンスホテルへのコーナーを曲がり、入っていくと、聞いていたとおり坂があります。しかも途中で折り返しているぞ!聞いてない。と思いながらも走りきり、フィニッシュゲートを見た瞬間に状況を理解しました。
ゲートには4:11:15と表示されています。どんなに急いでもこれは4時間を切るのは無理だろうと普通にゴールしました。

何とか歩かずに走り切れたことは嬉しかった。何度も何度も何度も何度も歩こうと思った。絶対に走りきるのは無理だと思った。でも走りきることが出来まその後荷物を取りに行ったのですが、更衣室あたりで動けなくなりました。
足がガチガチになって全く動かすことができません。どうやら、筋肉を使いすぎて固まってしまったようです。引きずってでも行こうとしたのですが、その一歩さえ出せない。
そのまま座り込んで30分は止まっていたでしょうか。
靴を脱いで足をマッサージしていたのですが全く良くなりません。ストレッチをしようにも、立てないし固まったまま動かない。
ずっと座っていても仕方が無いので、ものすごい遅い足取りで荷物を取って会場の木の下で座っていました。
と、同じスマイルランナーズというランニングクラブのおつさんに声をかけて頂き、座って話をしているとよね太郎ご夫妻も登場されました。知った顔を見るとホッとします。

帰りにスマランメンバーの方と駅まで歩いて帰りました。

 

 

 

報告者 ひこ

月間ランナーズ2016年3月号に掲載されました

リフィート 脚痩せ
大正製薬

H30年12月石神井公園ごみ拾いランの様子から